最近、「成長したな」と感じた二つの瞬間

子育てをしていると、

大きな変化よりも、

ふとした瞬間に

「あ、今ちょっと成長したかもしれない」

と思うことがあります。

それは、うまくいった日よりも、

少し迷った日の出来事だったりします。

最近、そんな瞬間が二つありました。

―――

目次

椅子の座り方のこと

椅子の座り方が少し乱れていたので、注意しました。

すると返ってきたのは、

「好きなようにしたいの」

この言葉、

この子らしいなと思いました。

モンテッソーリの環境で育っているので、

親が許容できる範囲の中で、

自分で選択することを大切にしているからです。

でも、その場面では

それは受け入れられませんでした。

「お行儀が悪いから、いけません」

感情ではなく、理由として。

少し強めに、はっきり伝えました。

すると、

足を下にしてくれたのです。

一見すると、

「それがどうしたの?」と思われるかもしれません。

でも、うちの子にとっては珍しいことでした。

こちらの言葉が、

感情ではなく意味として通じた感覚。

思わず、

通じた!

と心の中で思いました。

―――

カルタをしたかった朝

別の日の朝。

モンテに行く前に、

「カルタをしたい」と言い出しました。

今?!と思いましたが

少し時間もあったので、

「いいよ。一回だけね」と約束。

無事に終わった…と思ったら、

久しぶりに見る別のカードが目に留まり、

「これもやりたい」と。

でも、さっきのお約束は

「これをしてから行く」でした。

「帰ってからしよう」

そう伝えると、

「でも、したいの」

そして、

床と一体化。

受けれ入れられません。の意味が

目を閉じていました。

ぐだん、と。

正直、

スムーズではありませんでした。

でも、

少し時間はかかりながらも、気持ちを切り替え、

靴を履き、登園してくれました。

時間がかかったこと自体が、

この子なりの成長だったように思います。

―――

ふと思い返したこと

その時、

私の中に浮かんだ考えがあります。

いつも子どもに選択させているから、

「行くよ」という指示が

通りにくくなっているのかもしれない、ということ。

自由に選ばせることと、

主導権を手放すことは、

同じではありませんでした。

あくまでも、

主導権は親にある。

そのことを、

私自身も、

そして子どもも、

きちんと認識しておく必要がある。

そう感じました。

―――

自由と、枠組み

この二つの出来事に共通していたのは、

親が主導権を持ったまま 感情を否定せず 境界線をはっきり示した

という点でした。

厳しくした、というよりも、

安心できる枠を示した感覚です。

時間はかかる。

すんなりはいかない。

でも、その中で少しずつ、

社会のルールや折り合いを

内側に取り込んでいく。

その過程を、

私は今、見ているのかもしれません。

おわりに

成長は、

分かりやすい形ではやってこない。

でも、

「あ、今ちょっと通じたな」

と思える瞬間がある。

それだけで、

十分なのかもしれません。

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この記事を書いた人

答えよりも、向き合ってきた記録。

この場所では、
子どものことで悩み、
正解が分からなくなったときに、
母として立ち止まり、
考えてきたことを
言葉にしています。

敏感さや悩みながらの子育ての中で
「どうすればいいか」よりも、
すぐに答えを出せないまま、
立ち止まりながら考えてきました。

子育てのこと、暮らしのこと、学びのこと、
そして生き方のこと。
結論を急がず、
向き合い続ける時間と姿勢を、
ここに残しています。

ここにあるのは、答えではありません。
けれど
「私だけじゃない」と思って向き合える記録です。

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