秩序の敏感期かもしれない、と思った出来事

― 安心の中で動くために、必要だったこと ―

スムーズに事が運ばれないことが、よくありました。

だから私は、

前もって伝えるようにしました。

急かすためではなく、

安心した状態で動けるようにするために。

ある日、

園へ向かう道で、

いつもと違う道を通ったことがあります。

目的地は同じ。

着いてしまえば問題ない。

そう思っていたのは、

大人の私だけでした。

「まっすぐがよかった!」

突然泣き出し、

なかなか気持ちが戻らない。

理由を聞いても、

言葉ではうまく説明できない。

でも、

“いつもと一緒”がよかったようです。

帰宅後。

お風呂の前。

寝る前の準備。

「次なにする?」と

確認が入る、というより、

この子は、

自分で決める。

予定を組み立てる。

順番が前後することはあるけれど、

大抵は、

自分の中で決めています。

「帰ったら、

①手を洗う

②トイレ

③おやつ」

そんなふうに。

最初は、

「こだわりが強いのかな」

「それでスムーズに進むなら、まあいいか」

その程度に思っていました。

でも、

理由が

“安心を求めていた”ことだと分かってから、

見え方が変わりました。

公園から帰るときも、同じです。

「ずっと遊びたい」

その気持ちは、当然ある。

でもそれ以上に、

なぜ今帰らないといけないのか。

お日様が沈むこと。

夜が来ること。

暗くなる前に帰る理由。

時間を見せて、

10分前、5分前と伝える。

すぐに切り替えられなくても、

見通しが立つと、

ちゃんと前に進める。

この子にとって大事だったのは、

正しい順番でも、

大人の都合でもなくて。

安心できる見通し。

それがあるかどうかで、

動けるかどうかが、

決まっていたのだと思います。

秩序の敏感期は、

きちっとさせるためのものではなく、

安心するためのものなのかもしれません。

今は、

そう捉えています。

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この記事を書いた人

答えよりも、向き合ってきた記録。

この場所では、
子どものことで悩み、
正解が分からなくなったときに、
母として立ち止まり、
考えてきたことを
言葉にしています。

敏感さや悩みながらの子育ての中で
「どうすればいいか」よりも、
すぐに答えを出せないまま、
立ち止まりながら考えてきました。

子育てのこと、暮らしのこと、学びのこと、
そして生き方のこと。
結論を急がず、
向き合い続ける時間と姿勢を、
ここに残しています。

ここにあるのは、答えではありません。
けれど
「私だけじゃない」と思って向き合える記録です。

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