たった2歳でも、一人の人として向き合う必要があった理由

小さい子どもだからといって、

無碍に扱っていいわけでも、

親の所有物でもない。

私は、

子どもを一人の人として尊重することが大事だと思って、

子育てをしています。

モンテッソーリ的な考え方にも、

少し近いのかもしれません。

でも、実際は、

きれいごとばかりではなくて。

親の尺度で

「今はダメ」「こうしてほしい」

と判断しても、

うまくいかないことが多かった。

本人が納得しないと動けない。

譲らない。

正直、扱いにくい。

本当に、扱いにくい。

そこで、

私が受け止められる範囲の中で、

選択肢を2つか3つ伝えて、

どれにするかを本人に選んでもらうようにしました。

すると、

自分で選んだという満足感があるのか、

その選択に、

しっかり向き合おうとする姿がありました。

時々、

こちらが用意した選択肢とは違うものを

選ぶこともありました。

そのたびに、

「視野が広いんだ」と思うようにしています。

一見すると、

扱いにくい子に見えるかもしれない。

でも今は、

それは長所とも言えるのだと思っています。

腑に落ちたときの集中力や、

自分で選んだことへの向き合い方、

そのときの熱量は、

本当にすごい。

もちろん、

向き合っている最中は、

ここまで前向きに捉えられない日もあります。

でも、

今しんどさの中にいる人がいたら、

これだけは伝えたい。

今はそう見えなくても、

この子なりの理由が、

ちゃんとあるのかもしれない、ということ。

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この記事を書いた人

答えよりも、向き合ってきた記録。

この場所では、
子どものことで悩み、
正解が分からなくなったときに、
母として立ち止まり、
考えてきたことを
言葉にしています。

敏感さや悩みながらの子育ての中で
「どうすればいいか」よりも、
すぐに答えを出せないまま、
立ち止まりながら考えてきました。

子育てのこと、暮らしのこと、学びのこと、
そして生き方のこと。
結論を急がず、
向き合い続ける時間と姿勢を、
ここに残しています。

ここにあるのは、答えではありません。
けれど
「私だけじゃない」と思って向き合える記録です。

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