意味がないように見えて、きっと意味がある

この前、公園に行ったときのこと。

息子は、大きな池に

拾ってきた太い木の枝を入れて、

ぐるぐると身体全体を使いかき混ぜていた。

沈んでいた落ち葉をすくっては、また落とし、

水の中で形が変わるのを、ただじっと見ていた。

正直、最初に浮かんだのは

「……なにしてる?」という疑問だった。

何かを作るわけでもなく、

完成するものがあるわけでもない。

学びにつながるのかも、よく分からない。

でも、息子はとても楽しそうだった。

意味がないように見えて、

でも、きっと意味があるんだろうな。

それとも、

意味がないこと自体に、意味があるのかな。

そんなふうに、

自分でもよく分からない思考の中に入っていった。

私は横で、口を出さずに見ていた。

止めもしないし、導きもしない。

時々、目が合ったら笑って。

ただ、一緒にその時間にいる。

「こんな時間が過ごせるのが、いいのかな」

ふと、そんなことを思った。

全てに意味を持たせなくてもいい。

説明できなくてもいい。

ちゃんと、ここに存在している。

それだけで十分な時間も、きっとある。

学びや成長という言葉に回収しなくても、

子どもは、今日を生きている。

そして、親にも

考えすぎなくていい余白があっていい。

意味を探さない時間。

答えを出さないまま、そばにいる時間。

それも、きっと大切な時間なのだと思う。

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この記事を書いた人

答えよりも、向き合ってきた記録。

この場所では、
子どものことで悩み、
正解が分からなくなったときに、
母として立ち止まり、
考えてきたことを
言葉にしています。

敏感さや悩みながらの子育ての中で
「どうすればいいか」よりも、
すぐに答えを出せないまま、
立ち止まりながら考えてきました。

子育てのこと、暮らしのこと、学びのこと、
そして生き方のこと。
結論を急がず、
向き合い続ける時間と姿勢を、
ここに残しています。

ここにあるのは、答えではありません。
けれど
「私だけじゃない」と思って向き合える記録です。

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