子どもの好きに一緒に浸った日々

私は、虫が好きだったわけではない。

どちらかというと、

「きゃ!」と声が出てしまう側だった。

それでも気づけば、

私はその世界に、子どもと一緒に足を踏み入れ

逞しくなっていった。

——

最初のきっかけは、ゾウだった。

1歳3か月、初めて行った動物園。

鼻が長いのがかっこよく見えたのか、

絵本でも、ぬいぐるみでも、

ゾウを見つけるたびに指を差した。

象が載っている動物の図鑑を買った。

1歳だからと容赦はせず、

読み応えのあるものを二冊。

次に象の本を二冊。

また一冊、また一冊と、

頂いたものもあったりと

気づけば動物の図鑑やポスターが何冊も並んでいた。

ボロボロになるまで、ページをめくり続けた。

力加減の分からない1歳。

少し破れたページはテープで補強した。

その跡が、いくつも残っている。

最初から最後まで、必ず全部めくる。

その姿を見て、

「買った甲斐があったな」と思った。

——

ゾウから、動物全般へ。

動物から、恐竜へ。

恐竜から、肉食恐竜へ。

やがて「肉食」という概念そのものへ。

気づけば、

爬虫類、危険生物、毒のある生き物へと、

関心は深く、細かく進んでいった。

興味が変わったというより、

ひとつの関心が、

だんだん奥へ伸びていったように見えた。

——

正直、途中で止めたくなる瞬間もあった。

心の中で「ひぃ」となることも、何度も。

それでも私は、

先回りして次の興味を用意することはしなかった。

その時その時の大きなブームと、

そこから派生しそうな小さな関心が、

自然に目に入るような環境だけは、

そっと用意していた。

そして、

今この子が立っている場所に、

私も一緒に立つことにした。

——

朝は、幼稚園へ行く前に公園へ。

春から秋まで、何か月続けただろう。

梅雨の雨の日も、傘をさして。

「雨だからやめておく?」と聞くと、

「傘さしたら大丈夫だよ」と返ってきた。

1歳の下の子を抱っこ紐で背負い、

上の子は、帽子に手ぬぐい、首元には保冷剤。

手には虫かごと網。

毎回、車の中で

汗と泥でいっぱいになった服を着替えて向かった。

時々、原っぱでおにぎりを食べる

小さなピクニックにもなった。

あの時間は、格段においしかった。

——

帰ってからも、公園か畑。

蝉の抜け殻を探し、

蝉を見つけに行き、

トンボの時期もあった。

その場でミニ図鑑を広げ、

「これかなぁ」と首をかしげる姿。

蝉の幼虫を見つけて持ち帰り、

夜に羽化を観察したこともある。

図鑑を持ってきたら、一緒に読む。

時々、理由は分からないけれど付箋を貼る。

それも、彼なりの基準だったのだと思う。

Tシャツやタオルは、

昆虫が描いてあるものを好んだ。

オニヤンマの虫除けを頭につけ、

子ども用の蚊取り線香を腰にぶら下げて歩いた。

——

虫だけではなかった。

ハマったものは

宇宙、国旗、折り紙、地図記号、塗り絵

外では、木に登りたがった。

共通していたのは、

まだ分かりきっていない世界だったこと。

中途半端ではなく、

過剰なほど、一緒に浸った。

特質の粘り強さが生きていた。

途中で、

大人の都合で終わらせない。

それだけは、決めていた。

正直、楽ではなかった。

夕方の公園で、

「今日は暑すぎるし、涼しいところで遊ぼう?」と

自分の気持ちを伝えて交渉した日もある。

でも、あっさり断られた。

あの頃は、

一日一日を必死に過ごしていただけだった。

それでも、

この時間を途中で切らなかったことだけは、

今もよかったと思っている

「後悔していることは?」と聞かれても、

思いつかない。

それくらい、必死だったのかもしれない。

——

やりたいことを、

親と一緒にした記憶はあっただろうか。

下に弟がいて、

「しょうがないか」と思っていた

いやそれが普通すぎて何も思っていなかった。

自分の幼少期。

だから今、

この子の「好き」に一緒に浸っている時間は、

どこかで、

あの頃の自分を取り戻しているような感覚もある。

何かを教えた時間ではない。

ただ、途中で切らずに、

同じ方向を見ていただけ。

一緒に驚き、

一緒に喜び、

一緒に感動した。

それだけのことが、

こんなにも深く残るとは、

当時は思っていなかった。

キラキラと光る、思い出たち。

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この記事を書いた人

答えよりも、向き合ってきた記録。

この場所では、
子どものことで悩み、
正解が分からなくなったときに、
母として立ち止まり、
考えてきたことを
言葉にしています。

敏感さや悩みながらの子育ての中で
「どうすればいいか」よりも、
すぐに答えを出せないまま、
立ち止まりながら考えてきました。

子育てのこと、暮らしのこと、学びのこと、
そして生き方のこと。
結論を急がず、
向き合い続ける時間と姿勢を、
ここに残しています。

ここにあるのは、答えではありません。
けれど
「私だけじゃない」と思って向き合える記録です。

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