※これは、私自身の内省として書いた文章です。
誰かを責めるためのものではなく、
親になった今、自分の人生を整理し直す中で
見えてきたことを、言葉にしています。
⸻
子育てを始めてから、
自分の生い立ちや、育ってきた環境を、
ふと客観的に考え直すことが増えた。
あの頃は当たり前だったこと。
飲み込んできた言葉や感情。
名前をつけられなかった違和感。
それらが、
子どもと向き合う日々の中で、
少しずつ輪郭を持って浮かび上がってくる。
親になってから、かもしれない。
⸻
私が育ったのは、
祖父母、父と母、姉、弟の七人家族だった。
姉は五つ上、弟は六つ下。
母は専業主婦で、いわゆるステージママだった。
姉は芸術分野で光るものがあり、
コンクールやコンサートなども多く、
母は伴走する形で、いつも忙しそうだった。
弟は、少し手のかかる子で、
日常的に目が離せず、
家の中はいつも慌ただしかった。
私はその間で、
自然と状況を見ながら動く立場になっていたように思う。
⸻
自分で言うのも…だが
私は、何でもそつなくできる子だった。
でも、突出したものはなく、
いわゆる器用貧乏。
今振り返っても、劣等感の塊だったなと思う。
それでもその劣等感は、
自分を否定するためのものではなかった。
理想を目指したい。
どうしたらいいのかを考えたい。
実現したい。
その思いに背中を押されて、
私は今も、走り続けている。
今も私は、
立ち止まりながら、
考えながら、
更新し続けている。
完璧を目指してはいるけれど、
きっと「完璧」なんてない。
理想は高いし、
その分、迷うことも多い。
だからこそ、
その時々で立ち止まって考え、
その時の自分なりに、
いちばん納得できる選択を
し続けていきたいと思っている。
⸻
家族が多かったからか、
人に合わせるのが当たり前になっていた。
場の空気を読み、
先に動き、
誰かが笑ってくれると、心から嬉しかった。
その一方で、
自分の「好き」や「したい」を
一番に考えることは、
少しずつ後回しになっていったように思う。
⸻
通っていたのは、田舎の小学校だった。
目立たないことが、
どこかで正解とされていて、
服装もジャージで過ごすことが多かった。
母は東京での生活経験があり、
それだけでも、閉鎖的な土地では
少し目立つ存在だったのだと思う。
きっと母も、
見えない何かと戦っていたのだろう。
あの時代、
情報が今のように手に入るわけでもない中で、
必死に子育てをしていたのだと思う。
良い・悪いで語るつもりはない。
ただ、そういう時代と環境だったのだと思っている。
⸻
母から、
「お姉ちゃんもできたから、あなたもできるよ」
と言われたことがある。
励ましの言葉だったのだと思う。
でも私は、その言葉がとても嫌だった。
同じであることを求められているようで、
自分の輪郭が、
少しずつぼやけていく気がした。
⸻
家に、おもちゃはあまりなかった。
母は教育熱心で、
「おもちゃより、本を」
そう思っていたのだと思う。
今なら、その気持ちも分かる。
それでも、
シルバニアファミリーに憧れながら、
「欲しい」と言えなかった感覚は、
どこかに残っている。
好きなものを好きだと言うことに、
遠慮が必要だった。
⸻
そんな私が、
主人と出会って、少しずつ変わっていった。
「◯◯したい」と思うことは、
わがままではない。
癖が強くても、
人と違っていても、
それは欠点ではなく、個性なのだと。
無理に丸くならなくていい。
合わせすぎなくていい。
安心感であり、
肩の力を抜いて呼吸できるような癒しだった。
何かあっても、
帰るホームがあると思えること。
そこに戻れば、
気持ちが立て直せる。
そう思える関係だった。
すぐには分からなかった。
今、安定した家族の中で過ごす子どもたちを見ていると、
幸せだろうな、と思う。
もちろん私も人間だから、
時々、沸点に達してしまうことはある。
それでも、
戻ってきて、言葉にできる自分でいたいと思っている。
子どもの一番近くにいる親は、
やっぱり自然なお手本なのだと思う。
感情の扱い方も、
言葉の選び方も、
驚くほど、そのまま伝わっていく。
上の子の口から出てくる言葉に、
「これは誰の言葉かな。私かな」と
思わず笑ってしまうこともある。
⸻
怖いときに、
「ドキドキするね」ではなく
「ワクワクするね」と伝えてみる。
すると、
子どもの中でその感情が、
前向きなものとして働くことがある。
環境や声かけひとつで、
子どもの世界は、
いくらでも広がっていく。
⸻
だから私は、
自分の生い立ちを
悪かったとは思っていない。
少し違う言葉をかけてもらっていたら、
違う道もあったかもしれない。
そう思うことはある。
それでも、
選択してきたのは私自身だ。
目を背けなければ、逃げなけば
向き合えば、全ては
学びになり、
いつかギフトになる。
そして今度は、
それを子どもたちへ
返していきたいと思っている。
コメント