やっと授かった子どもが、私を『考える母』にした

やっと一人目の子どもを授かりました。

長く待った時間のあとだったので、嬉しさと安堵でいっぱいでした。

けれど、生まれてきたその子は、正直に言うと、とても大変な子でした。

できなくて当たり前のことができないと泣く。

こだわりが強く、執着も強い。

まるで、立派な大人が小さな体に閉じ込められているような感覚でした。

「どう向き合えばいいのか分からない」というより、

私の中にあったのは

**「この子を、どうやって育てていこう」**という問いでした。

ごまかしは通じませんでした。

子ども騙しも効かない。

食べ物で釣る、気を逸らす、そんな方法もまったく意味がない。

あとから知ったことですが、

モンテッソーリでいう

「ママ、ひとりでするのを手伝ってね」

という言葉が、驚くほどぴったり当てはまる子でした。

だからこそ、

「ただの育てにくさ」ではないのかもしれない、

そんな感覚も同時にありました。

この子は、もしかしたら

とてもよく分かっている。

だからこそ、納得できないと泣くし、手放せない。

そう思ったとき、

「どうしよう」というよりも、

「この子と、この子の人生に、本気で向き合わなければ」

という気持ちに切り替わっていました。

不思議と、不安はそこまでありませんでした。

必死ではありましたが、

なぜか

「よくなるしかない」

そう信じていたのだと思います。

そこから私は、子どもが二才になるまで、

毎日日記のような記録をつけるようになりました。

(当時使っていた日記帳については、改めてまとめる予定です)

うまくいかなかったこと。

分からなかったこと。

納得できなかったこと。

答えを出すためというより、

この子を理解したかったのだと思います。

どうにか立派な花を咲かせたい。

発達のこと。

特性のこと。

環境や食事、教育のこと。

モンテッソーリ、シュタイナー、レッジョ・エミリア。

正解を探すというより、

この子に合う育ち方を考える時間が始まりました。

今思えば、

この子が生まれてきてくれたことで、

私は初めて

「子どもと暮らしを、考える」ようになったのだと思います。

このブログは、

その延長線上にあります。

子どもと暮らしを観察し、

迷い、考え、やめて、また試してきた記録。

正解を示す場所ではありません。

けれど、

同じように立ち止まり、

子どもと本気で向き合っている誰かと、

考えを共有する場所にはなれるかもしれない。

そんな思いで、

**「子どもと暮らしの研究所」**を、開いてみようと思います。

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この記事を書いた人

答えよりも、向き合ってきた記録。

この場所では、
母として、女性として、
日々の中で立ち止まり、考え、選び取ってきたことを
言葉にしています。

子育てのこと、暮らしのこと、学びのこと、そして生き方。
結論を出すことより
向き合い続ける時間と姿勢を大切にしてきました。

ここにあるのが、答えではなく、記録です。

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