こだわりが強い子・敏感な子と向き合う中で考えた、親としての選択
「そこまでしなくてもいいんじゃない?」
そう言われたことは、たしかにあった。
でもそのたびに、立ち止まることはなかった。
不思議なくらい、
あの頃の私は、
自分のやっていることに迷いがなかった。
どこまで突き詰められるだろう。
どこまで一緒に行けるだろう。
子どもと同じように、
私自身も、その先を見てみたかったのかもしれない。
子どもの関心は、
必要なくなるときがくると、すっと離れていく。
それも、なんとなく分かっていた。
だから私は、
ひとつの「好き」を十分に味わったら、
それを潮時にして、
次の関心へと移っていく。
そんな循環を、
ただ信じていただけだった。
親の都合で終わらせたい場面も、もちろんあった。
でも、急に切り上げようとすると、
癇癪が起きたり、
気持ちの切り替えができなかったり、
その後の時間が、かえって大変になることが多かった。
だから私は、
なるべく本人にも、私にも負担が少ない形を選びたかった。
時間が許すときは、許す。
難しいときは、
「ここまでにする?」
「5分後にする?」
終わるタイミングの選択肢を出して、
どれにするかを本人に委ねた。
完全に自由だったわけではない。
でも、
自分で選んだ終わり方のほうが、
この子は納得して次に進めることが多かった。
今振り返ると、
それは私自身の育ちとも、つながっている気がする。
私の親は、とにかく忙しかった。
だから、
「自分を優先してもらえる」という発想自体が、
そもそも頭になかった。
自分の気持ちは後回し。
「しょうがない」と飲み込むことが、当たり前だった。
だからこそ、
許せる状況なら、優先させてあげたい。
この子に「好き」があるなら、
思う存分、浸らせてあげたい。
そんな思いが、
私の中にあったのだと思う。
もちろん、
いつもいつも、できたわけではない。
私も人間だから、
アンガーマネジメントがうまくいかない日もあった。
夜ごはんの時間が遅くなっていたり、
早く寝かせなきゃいけないタイミングだったり、
キャパオーバーだった日も、きっとある。
それでも私は、
その時その時で、
できる最善の選択をしてきたと思っている。
だから今、
後悔はない。
あの時間を、
私はちゃんと肯定できている。
それだけで、
十分だったのだと思う。
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