※これは私自身の内省の記録です。
誰かを責めたいわけでも、
誰かの子育てを否定したいわけでもありません。
子育てを通して感じた、
小さな違和感を書いています。
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親戚の集まりのとき、
「いい子ね〜」と声をかけられている子どもがいた。
その言葉を聞いた瞬間、
その場では、はにかんでいたけれど、
心の中では「はいはい」と思っていた。
嫌な気持ちになったわけでもない。
否定したかったわけでもない。
ただ、少しだけ、引っかかった。
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「いい子」って、
誰にとっての「いい子」なんだろう。
大人の話を遮らない子。
言われたことをすぐに聞く子。
場の空気を乱さない子。
たしかに、それは“扱いやすい”。
でも、
それがその子の本質や力と、
どこまで関係があるのかは、分からない。
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うちの子は、
いわゆる「いい子」タイプではなかった。
しつこいし、
子どもだましは効かないし、
大人の言うことに素直に従うタイプでもない。
納得しないと動けない。
気になったことには、とことん向き合う。
一見すると、
「扱いづらい」と言われがちな性質だと思う。
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でもあるとき、
その“扱いづらさ”の見え方が、
少し変わった瞬間があった。
親戚の集まりで、
「いい子ね〜」と褒められている子どもを見たとき。
その場では笑っていたけれど、
心の中で、ふと思った。
この集中力や粘り強さは、
評価されにくいだけで、
力としては、とても強いんじゃないか。
育てたのかな。
それとも、もともとあったものが、
環境によって伸びただけなのかな。
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「扱いづらい」という言葉は、
子どもの性質そのものではなく、
関わる側との関係性や、
環境との相性で生まれるものなのかもしれない。
同じ性質でも、
環境が変われば、
評価はまったく違って見える。
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だから私は、
「いい子であること」を
ゴールにはしていない。
ありのままでいい。
個性があっていい。
その個性が、
ちゃんと力として育つように、
合う環境を用意してあげればいい
そう思っている。
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かといって、
野放しにすればいいわけでもない。
すべてを自由にさせていいとも、思っていない。
切り替えが必要な場面では、
スムーズにいくように、
声かけや予告を大切にしている。
「ここまでなら大丈夫」
「これ以上は難しい」
そのラインは、
私と主人が決める。
その中でなら、
自由に選んでいい。
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子どもは、
「できないから」といって、
焦っているわけではない。
焦っているのは、
たいてい親のほうだ。
親が期待して、
「こうできるはず」と思って、
思った通りにいかなくて落ち込む。
でもそれは、
できないのではなく、
今じゃないだけ。
だから私は、
信じて待つ。
今は、ここまで。
今は、ここなんだ。
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「いい子ね」と言われたとき、
少しだけ引っかかった理由。
それはきっと、
その言葉が悪いからではなく、
子どもを
“扱いやすさ”で測る視点に、
もう戻れなくなったからだと思う。
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